お金を借りる方法としてまず思いつくのは、消費者金融・サラ金でしょう。
すっかり身近になった消費者金融ですが、現在の形になるまでには長い歴史があります。
今回は、消費者金融・サラ金とは何か、その歴史について解説します。
目次
そもそも「消費者金融」「サラ金」って何?
昔はよく耳にした「サラ金」という言葉も、最近ではあまり使われなくなりました。
そもそも消費者金融とサラ金は、どんな違いがあるのでしょうか?
消費者金融とは?サラ金とは?
消費者金融とは、個人向けの小口融資のことです。また個人に対して、無担保で融資を行う貸金業者を指す場合もあります。
それに対してサラ金は、「サラリーマン金融」の略で、かつての消費者金融の呼び名です。
「サラ金」は「消費者金融」と同じ内容を意味しており、違いは全くありません。
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消費者金融の呼び名の変遷
時代の移り変わりとともに、消費者金融の呼び名も変化してきました。
ここでは、消費者金融の呼び名の変遷を、年代別に紹介します。
・1960年代:団地金融、勤人信用貸(つとめびとしんようがし)
当時、エリートサラリーマンたちは、こぞって団地に住んでいました。
団地に住むサラリーマン家庭を対象に営業を行っていたことが、呼び名の由来です。
・1970年代:サラ金、街金(まちきん)
サラリーマンを対象とする会社が多かったことから、「サラ金」の呼び名が定着しました。
また市街地に営業所を構えていることから、「街金」とも呼ばれました。
・1980年代:消費者金融
サラ金のイメージが悪化したことを受けて、業界が推し進めた新しい呼び名です。
詳しくは、後ほど解説します。
<関連記事>:街金とは?お金を借りても大丈夫?
消費者金融はいつ誕生した?
ここからは、消費者金融の誕生の歴史を見ていきましょう。
はじまりは1929年、ある銀行の小口融資から
消費者金融のはじまりは、1929年の、日本昼夜銀行による個人向け小口融資の開始です。
日本昼夜銀行は、小口融資を専門とする銀行で、日本で初めて個人向け融資を行ったと言われています。
当時の利用条件は、現代と比べても非常に厳しいものでした。
以下は、日本昼夜銀行の利用条件の一部です。
- 25歳以上で、結婚していること
- 東京および近接所在の官庁または、それに相当する会社銀行に2年以上勤続していること
- 十分な資産がある、25歳以上の連帯保証人を2人用意できること
翌年の1930年には、三井銀行も個人向け融資をスタートさせました。
なお融資対象は三井グループの従業員で、実際には社内貸付制度のようなものでした。
その後、1941年の太平洋戦争をきっかけに、個人向け融資事業は一時的に途切れます。
1950年代までの約10年間、個人に対する融資は行われませんでした。
1950年代、サラ金の誕生
1950年代に入ると、個人向け融資が再開されました。
1956年には、信販大手の「日本信販(現:三菱UFJニコス)」がサラリーマン向けの小口融資を開始しました。
これが、サラリーマン金融(=サラ金)の誕生です。
その後、三洋商事、関西金融(ともに現:SMBCコンシューマーファイナンス(プロミス))も、同様の融資事業をスタートさせました。
<関連記事>:サラ金とは?分かりやすく解説
1970年代、海外企業が上陸
1977年には、アメリカ大手の「アプコ・ファイナンシャル・サービス」が、日本国内での営業を開始しました。
これを皮切りに、複数の外資系貸金業者が日本に上陸する事になります。
国内の貸金業者よりも低金利であったため、外資系企業は安定して人気を獲得していました。
この人気は、2006年頃まで約30年間も続きます。
<関連記事>:中小大手の消費者金融、全国35社の金利・即日の一覧表
1980年代、サラ金から消費者金融へ
1970年代以降、市場が拡大する一方で、多重債務による自殺者が増加していました。
多重債務は深刻な社会問題となり、「サラ金地獄」とも呼ばれました。
サラ金に対する世間のイメージは、急速に悪化していったのです。
すると貸金業界は、呼び名を変える事で、悪いイメージを脱却しようと考えます。
ここで登場するのが、「消費者金融」という呼び名です。
この頃のテレビCMを見ると、サラ金のイメージを払しょくする意図が感じられます。
以下の動画は、当時の業界大手であった、武富士のテレビCMです。
奇抜ではありますが、以前と全く異なる印象を世間に与えた事は間違いないでしょう。
<関連記事>:武富士はその後どうなった?栄光から転落・倒産・現在まで
消費者金融、低迷期へ
大きく市場を伸ばした消費者金融業界ですが、良い時期はいつまでも続きません。
ある出来事から一気に、低迷期に突入してしまいます。
きっかけは2006年の最高裁判決
多重債務問題を受けて、2006年1月、グレーゾーン金利を無効とする最高裁判決が出ました。
グレーゾーン金利とは、利息制限法上は違法ながら出資法の範囲内である、法的にグレーな金利のことです。
それまで消費者金融の業界では、出資法の上限金利を適用していました。
以下のグラフは、消費者金融の上限金利の推移をまとめたものです。
<出典>:金融庁資料より作成
グラフを見ると、グレーゾーン金利が撤廃される以前は、とても高い金利での貸付が横行していた事が分かります。
<関連記事>:消費者金融の金利相場は?金利はどうやって決まるの?
貸金業法改正と過払い金請求ブーム
最高裁判決を受けて、2006年以降、改正貸金業法が段階的に施行されました。
2010年の施行でグレーゾーン金利は完全に撤廃され、上限金利は20.0%となりました。
グレーゾーン金利が否定されたことで、借主側が払い過ぎた利息の返還を求める「過払い金請求」が急増します。
これにより、消費者金融は大打撃を受け、外資系消費者金融は相次いで撤退を決めました。
国内の消費者金融も、多くの会社で経営が厳しくなり、中には廃業に追い込まれるケースもありました。
<関連記事>:貸金業法とは?分かりやすく解説!
2010年代、銀行カードローンの台頭
2010年代になると、消費者金融の落ち込みを埋める形で、銀行カードローンが利用者を大きく伸ばしました。
下のグラフは、銀行カードローン残高の推移を表しています。
<出典>:銀行カードローンに関する消費者意識調査に関する報告‐全国銀行協会より作成
グラフから分かる通り、2010年以降、銀行カードローンの貸出残高は右肩上がりです。
消費者金融よりも低金利であることと、銀行の安心感もあって、銀行カードローンは順調に市場を拡大しました。
しかし2016年後半あたりから、銀行カードローンの勢いに陰りが見え始めます。
過剰融資が問題視され、マスコミ各社が一斉に報道するようになりました。
2017年、金融庁も調査を開始する中、全国銀行協会は、銀行カードローンの審査を強化する自主規制を打ち出しました。
<関連記事>:お金を借りるならどっち?消費者金融 vs 銀行カードローン
銀行の即日NGで、消費者金融が復活の兆し
2018年1月、銀行カードローンでは即日融資を受ける事が出来なくなりました。
審査の厳格化の流れで、申込者のデータを警察庁のデータベースに照会する事になったからです。
照会の目的は、申込者が反社会的勢力でないことの確認することです。
確認結果が出るのは最短でも翌日、長いと2週間程度かかるので、申込当日の審査回答は出来なくなりました。
現在、即日融資に対応しているのは、消費者金融だけです。
銀行カードローンの優位性が薄れてきた今、消費者金融が再び注目され始めています。
<関連記事>:即日融資ランキングを解説!どのカードローンが選べばよい?
以上、消費者金融・サラ金の歴史について解説しました。
かつて消費者金融は、悪いイメージが先行していました。
しかし年月を経て、今ではクリーンなイメージに変化してきています。
借り過ぎには十分注意しつつ、消費者金融を上手に活用したいですね。
元銀行員が選ぶ消費者金融ランキング
- 消費者金融のはじまりは、1929年、日本昼夜銀行で開始された個人向け融資
- 1956年に日本信販がサラ金事業を開始したことを皮切りに、世間にサラ金が広まる
- 1970年代、多重債務問題でサラ金のイメージが悪化。「消費者金融」の呼び名が使われ始める
- 改正貸金業法の施行により過払い金請求が急増し、多くの消費者金融が経営難に陥った
- 2018年に銀行カードローンの即日融資が不可となり、消費者金融が再び注目されつつある
